| 所在地:湖南市吉永字城山 |
| 別 名 :吉永城 |
| 築 城 :長享元年 |
| 初城主:佐々木六角氏(三雲氏) |
| 区 分 :山城 |
| 遺 構 :土塁,堀切,空堀,枡形,土橋,石垣,井戸 |
| 城 域 :300m×200m |
| 標高 314m |
| 比高 140m |
六角氏の紋

四つ目結 |
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国道1号線甲西吉永信号南入る、青少年自然道場
詳細位置はコチラ 
夏期は青少年自然道場駐車場,冬期は路上脇に駐車
【訪 城】2001年2月
【撮 影】2001年2月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★★ |
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★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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青少年自然道場手前の道路際に車を置いて、舗装された林道を歩くこと約20分で三雲城址の石碑が建つ登城道に着く。
山道は北尾根を登るようにつけられているが、この尾根の東斜面は傾斜が緩やかなこともあって、至るところに石垣や空堀,堀切及び土橋などが確認できる。
山腹には巨石による枡形虎口が設けられ、「ミニ観音寺城」といった観がある。山中の巨石に「四目結」の六角家紋が彫られているとのことであったが、この虎口を形成する石なのか、八丈岩と云われる巨石なのか、残念ながら見つけることは出来なかった。
山頂の主曲輪は25m×15m程度で、主曲輪の西に堀切を挟んで15m×15m程度の砲弾型の曲輪(2の曲輪としておく)があり、曲輪西側には土塁が確認できる。
2の曲輪から西へ延びる尾根は「馬の背」状に細くなり、この尾根を4条の堀切で処理している。
登城コースとしては登りは舗装された林道が良い。しかし帰路は三雲城址の石碑から谷を下りることをお勧めする。
この辺りはどの谷筋を通っても石垣が積まれており、楽しめること請け合いである。ただ、どこまでが当時のものなのか判別は難しい。
三雲城の築城年代は定かではないが、三雲典膳が築城したと伝えられる。
三雲氏は、近江国守護職六角氏の旗頭、軍代を勤め、長亭元年(1487)の室町将軍足利義尚が全国諸大名に出した六角討倒令の際には、この三雲城が六角氏の亡命臨時本城として利用された。
六角氏は、本城観音寺城を攻撃され危険を感じると、甲賀に亡命し、甲賀武士をはじめ、近在部将とともに抗戦する戦術を幾度か用いている。こういったゲリラ戦法を、「呼び込み軍法」と云われている。
甲賀から直接観音寺城へ通ずる道を観音寺道といい、天文6年(1537)には六角義賢、永禄11年(1568)織田信長の近江進攻時に和田山城、箕作山城を落とされた六角承禎(義賢)、義弼は当城に逃れてきており、観音寺城の奥城と呼んでもよい城である。
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