| 所在地:栗東市上鈎 |
| 別 名 :足利義尚陣所 |
| 築 城 :長享元年(1487) |
| 初城主:足利義尚 |
| 区 分 :館 |
| 遺 構 :土塁・堀 |
| 城 域 :200m×220m |
| 町町指定史跡 |

国道1号線上鈎の信号を西へ200m
詳細位置はコチラ 
空地を利用
【訪 城】2001年5月
【撮 影】2001年5月
| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
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★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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上鈎にある永正寺とその西にある竹藪が鈎陣屋の跡である。
永正寺の東側の空き地には高さ約2mの土塁が約20mにわたって今も残っている。
竹藪は手入れがされておらず、荒れ放題だが、周囲を歩くと何ヶ所か藪に入れる箇所があり、藪の中には堀跡が残る。
応仁元年(1467)、京都で勃発した応仁の乱はたちまち諸国に波及し、近江においても激しい戦いが繰り広げられた。
長享元年(1487)7月、時の将軍足利義尚は総勢数千の兵を自ら率い、近江へ六角定頼征伐の出陣を行い、同年10月坂本から琵琶湖を越え鈎の安養寺に陣をおき、その後安養寺から20町余り離れた真宝館へ陣所を移した。
その陣所跡に建てられたのが現在の当寺と云われている。
江戸時代に描かれた「寺内村由来図」によれば、陣所は土手と堀水に囲まれ「本丸」、「二の丸」の中心部とその外側の「三の丸」からなり、敷地は東西114間、南北120間余りと記載されており、陣所の規模を知ることができる。 (栗東市教育委員会 現地案内板より)
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