| 公方屋敷 |
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【城郭の概要】 |
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・交通:県道4号線油日農協の信号を南入る、県道51号線 ・駐車:路上駐車 ・撮影:2002年6月
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【現地の状況】 公方屋敷は和田川西にあり、三方を丘状尾根に囲まれた、東西100m×南北150mほどの一帯としており、ほぼ中央部に大きな杉の木の下に案内板が建てられている。一方、滋賀県教育委員会が公方屋敷跡と称しているのは、この小さな谷を形成している南と北の丘の上としている。 いずれも削平がなされ、曲輪跡であったことが確認できる。南の尾根上の曲輪一帯は竹藪の中に櫓台も確認できる。 この地形は六角氏の初期の居館であったとされる小脇山館とよく似ており、中世における居館選地に共通性を見ることができる。 また、この屋敷跡の西側約300mに川を挟んで、公方屋敷支城と称される砦がある。 【城郭の歴史】 この屋敷跡は、室町幕府の将軍足利義昭が一時居した屋敷跡であり、当時の将軍は公方と呼ばれることから地元でも公方屋敷と伝えている。 室町時代末期は政権が不安定で将軍義輝が三好,松永等によって殺害されるが、永興福寺一乗院の門主足利覚慶(義輝の弟)は身の危険を感じて当地城主和田伊賀守惟政に奈良を脱出させて貰い、本屋敷に亡命した。 その後、和田氏領野洲矢島に移り、六角氏,浅井氏などに援助を申し入れるが断られ、ついに信長によって室町幕府最後の将軍として奉じられて上洛する。この遺跡中央に庭園跡、周囲に屋敷跡が残っている。 甲賀町教育委員会 |