| 近江 小脇館 |
| 【城郭の概要】 所在地:八日市市小脇町 別 名 :− 築 城 :平安時代後期 初城主:佐々本成頼 区 分 :館 遺 構 :堀 面 積 :200m×200m
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・交通:国道8号線・安土西生来信号東入る ・駐車:空地を利用 ・撮影:1998年6月
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【現地の状況】 佐々木氏の館跡は小脇山南麓の小字御所にあったとされており、城郭大系には「小字御所周辺に、堀田という東西・南北方向の幅約8mの細長い水田があり、かつ周辺より一段低くなっているところがあることが確認された」とあり、堀は埋め立てられたとのことであるが、小脇町の大将宮を東へ30m程行った所の民家の前に、幅は約3mで25mほどの堀が残っている。 地元の人の話では、以前は堀横の道はリヤカーが1台ようやく通れる位の道幅であったが、堀を埋め立てて広くなったとのこと。埋め立てられる前には幅が5mほどあったことになる。 この堀をただの水路という見方もあるが、現地の水路は概ね幅1m程度であり、あの狭い小脇町5mもの水路が必要なわけがなく、堀跡と考えても間違いはなさそうである。私は地元の人が云うように、「堀説」を支持したい。 昭和54年(1979)に行われた発掘調査では、幅9.5m〜11m、深さ2mの堀が発掘されるとともに、一辺が100m以上の方形館であることが判明している。 またこの小脇町には掘田,惣田,御所,馬場,馬ヤケ,コチャ門(東門),岡門,蓬来門等の地名が残っている。(八日市史より) 【城郭の歴史】 佐々木氏は平時にはこの館に居住していたが、戦時には小脇山や観音寺などに出向いていたようで、応仁の乱(1467)の頃より徐々に観音寺城に本拠を移したと考えられている。 佐々木氏の居館が小脇にあったとされている背景には、「吾妻鏡」に建久元年(1190)に、関東に帰る源頼朝が「小脇館」に一泊していることが記されていることによる。 佐々木氏の居館がこの小脇にあったということについては異説もあり、「近江興地志略」では、常楽寺・小中,中屋,慈恩寺一帯と推定されている。
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