所在地:東近江市永源寺甲津畑
別 名 : −
築 城 :永仁2年(1294)
初城主:速水泰氏
区 分 :平山城
遺 構 :土塁,堀切
城 域 : −
比高 約50m
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甲津畑小学校を目当てに

浄源寺の駐車場を借用
【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り |

甲津畑地区に入るも、甲津畑城の位置は判らず、浄源寺で訪ねると甲津畑小学校の背後の山(通称城山)だと判明。
城山は比高約50mほどの小山で、杉峠を越えて北伊勢に通じる千種街道を、まさに眼下に押さえる位置にある。
千種街道側の尾根と谷筋に曲輪を階段状に配し、背後の尾根を堀切で処理した小振りな山城である。
千種街道を挟んで、信長が千種越えをした時に、馬を繋いだとされる枝振りの見事な勘六左衛門の松(信長の馬つなぎ松)があるので、こちらも是非見学していこう。
-----------信長公記 千種峠にて鉄炮打ち申すの事 日野蒲生右兵衛門大輔、布施籐九郎、香津畑の菅六左衛門馳走申し、千種越えにて御下なされ候。左候ところ、杉谷善寺坊と申す者、佐々木左京太夫承禎に憑まれ、千種・山中道筋に鉄砲を相構へ、情なく十二、三日隔て、信長公を差し付け、二つ玉にて打ち申し候。されども、天道照覧にて、御身に少しづゝ打ちかすり、鰐の口を御遁れ候て、目出たく五月廿一日濃州岐阜御帰陣。
永仁2年頃、速水泰氏が興福寺領の公文職として館を構えた所であり、足利義稙が観音寺城の六角高頼を征した時の城ともいわれている。
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