所在地:大津市堅田町衣川
別 名 : −
築 城 :文暦元年(1234)
初城主:山内義重
区 分 :平城
遺 構 :削平地
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国道161号線、仰木口の信号を西に入り、約500m、明神橋を渡り約200m先の公園
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公園前に駐車
【訪 城】2004年9月
【撮 影】2004年9月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★☆☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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衣川団地の中の一画、公園となっているところが衣川城である。公園は斜面にあり、公園内のほぼ中央部で1mほどの高低差のある2段の敷地からなっている。衣川城の曲輪をそのまま利用したものであろうか。
南側に土塁らしき土盛りがあるが、土塁かどうか確認のすべがない。南側前面には住宅が建ち、見晴らしは利かないが、道路側に出ると、なだらかな丘陵地を一望できる。現在の地形からこの地に城を築いた必然性を見出すとすれば、西近江路を見下ろせる位置にあることぐらいである。
衣川城は山内義重が文暦元年(1234)正月、粟津の合戦に勲功を立て、衣川領を賜り、ここに城を築いた。
11代山内駿河守宗綱は浅井公政、京極高清らと共に永年5年から8年(1508〜1511)にかけて、近江、坂本、石山等の各合戦に朝倉貞景、村上山城守、細川入道高国、河野通直、大内義典等を相手に戦い勝利をおさめた。
しかし、その後大永6年(1526)8月3日の夜、衣川城は細川入道高国の奇襲にあい、南から香東山城守に、また北から島村弾正貴則に挟撃され、一族善戦したるも及ばず衣川城はついに落ちた。
この時かろうじて城を逃れた重清らは伯父の遺志をうけ密かに伊予国宇摩郡近井郷鏑崎村に逃れついに再興の志を果たせず当地に土着した。
衣川には西羅に城の口や開城道などの地名が残っており、昭和43年滋賀県教育委員会の調査によって城跡の一部(溝跡、建物跡など)が確認され、壺等多数の遺物が出土している。
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