徳源院は、霊通山清滝寺と号し、宗派は天台宗で、京極氏初代の氏信(法号清滝寺殿)が開基と伝えられている。
永禄11年(1568年)織田信長が第15代将軍足利義昭を奉じて近江に侵攻すると、京極高吉は当寺に隠棲。天正元年(1573年)7月、小谷城の落城と共に浅井氏が滅亡した後は安土城に入り、同城で没したと実宰庵文書は伝える。
京極高吉の子・京極高次は豊臣秀吉に属し大津城城主となり、当寺に種々の保護を加え、慶長4年(1599)に徳源院山林の安堵を石田正継に託している。
寛文12年(1672)丸亀藩主京極高豊は清滝の地が祖先墳墓の地であることから、他の領地との交換を願出て許され、清滝村と大野木村の一部を領し、以後寺観の整備に努めた。その一環として散在していた歴代の墳墓を集め、不足を補うなどして配置、現在の京極家墓所を形成した。
なお、京極家の菩提寺は西念寺(六角宗綱の菩提寺)の他、徳源院の近隣に能仁寺(京極高詮の菩提寺),勝願寺(京極高光の菩提寺)等があったと伝えられている。
徳源院境内の墓塔(宝篋印塔)を含む墓所は国指定史跡。また京極高豊の寄進した三重塔(柿葺・三間三重塔婆)は県指定文化財となっている。

京極家5代目当主・京極道誉が植えたと伝わる しだれ桜
京極家の始祖である氏信公に始まり歴代の当主の墓が立ち並ぶ。この墓地は江戸時代に22世代の丸亀藩主 京極高豊公が、墓を一堂に集め、整備したと伝えられる。
これら18基の宝篋印塔は下段にある高次の墓(石廟内部に宝篋印塔がある)と共に国指定史跡となっている。 |
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元弘2年(1332)南朝方の北畠具行が捕らえられ、京極導誉によって鎌倉へ送られる途中、柏原(現山東町)で殺害されたが、このとき当寺に約1ヵ月間留め置かれたと伝えられている。
徳源院の住所:滋賀県米原市清滝
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観 光
■北畠具行卿の墓
米原市清滝
入場料 無料
北畠具行は、元弘2年(1332)北朝方に捕らえられ、鎌倉へ送られる途中、柏原(現米原市)で殺害された。
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