所在地:米原市番場
別 名 : −
築 城 :天文〜元亀年間
初城主:土肥三郎元頼
区 分 :山城
遺 構 :堀切・土塁・竪堀・石垣
城 域 :430m×220m
標高 384m
比高 254m
戦 い :
天文7年(1538)
○六角定頼
VS
●浅井亮政
国指定史跡
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国道21号樋口西交差点から番場へ
詳細位置はコチラ

・鎌刃城への登り口はこちらを参照
(天神道:30分,滝が谷林道:約1時間) 鎌刃城へのお勧めルートは、第二のルートから登り、鎌刃状尾根の堀切を堪能したのち、山頂の曲輪群および石垣を見て回り、第一のルートを下りて来るのが良い。
・駐車:約20台有(蓮華寺)
番場地区名神下に10台
【訪 城】2000年11月
【撮 影】2000年11月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★★ |
| お勧め度 |
★★★ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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鎌刃城は霊仙山が東に伸ばす支尾根の東端、中山道の番場宿を見下ろす位置に築かれている。
番場宿は西には琵琶湖の水運を利用できる朝妻港を控え、東は美濃、南は京へと続く中山道と、木之元宿を経て越前に通じる北国街道が交差する交通の要衝にある。そのため、近隣には佐和山城をはじめ、物生山城,番場城,太尾山城,地頭山城、および枝折城と中山道に沿って点々と城が築かれている。
鎌刃城は尾根頂部の主曲輪を中心として北、東に延びる尾根上に曲輪を配した連郭式の山城で、背後の南尾根は幅2mほどの痩せ尾根であるが、この痩せ尾根に8条の堀切を入れ、形状はまさに鎌の刃で、鎌刃城の由来もこんな所からきているのではないかと思わせる。
主曲輪から延びる北尾根には小曲輪も含め7つの曲輪を階段状に築き、先端は3条の堀切で処理している。また、西に延びる尾根にも小曲輪を連ね、堀切と切岸による防御を主体とするが、尾根の先端部斜面には3条の畝状堅堀を配するなど、近江では数少ない防御パーツも使われている。
こうした連郭式の縄張りを持つ鎌刃城が、他の中世城郭と一線を画するのは、石造りの城という点にある。
当初は主曲輪から東に延びる尾根上の先端の曲輪(ここでは、仮に三の曲輪としておく)の南斜面に高さ3〜4m、長さ40mほどの石垣(通称:大石垣)だけであったが、1999年から2002年までの3年間に渡る発掘調査で、主曲輪周囲を石垣で固め、虎口は山城としては異常に大きい石造りの枡形虎口を備えていること、また三の曲輪にも石造りの枡形虎口を有するなど、要所要所は石積みで固められている。
鎌刃城の石積みは地山で産出する石灰石が用いられ、石を積み上げるというよりは、石と石との間を粘土で固めたといった造りで、白い石と赤茶色の粘土のコントラストが印象的です。
なお、城内の石積みの大部分は発掘調査終了後に埋め戻しされています。(^^;
また、麓の蓮華寺には鎌刃城城主の土肥三郎元頼の墓があります。
【2001.10.25追記】
平成13年度発掘調査報告・現地説明会(10月21日)
鎌刃城は鎌倉時代に箕浦庄の地頭であった土肥氏の居城として築城されたと伝えられています。しかし城跡は番場の村から離れた山中に立地しており、在地支配の城ではなく、軍事的な目的のためにのみお築かれた城のようです。おそらくは土肥氏は番場に残る「殿屋敷」に居城していたと考えられる。
鎌刃城は江南の六角氏と江北の京極氏や浅井氏の国境に立地していることから、「境目の城」として室町時代に築城されたと考えられます。文献からも文明4年(1472)以降に登場し、六角氏方の今井氏が、京極氏方の堀氏の守備する鎌刃城を攻めたことや、堀氏が後に六角氏方に降り、再入城したことなどが知られている。
堀氏は元亀元年(1570)姉川の戦いに際し、同族の樋口氏と共に織田に降り、翌年5月6日に浅井長政に攻められています。この時横山城(長浜市)を守備していた木下籐吉郎(後の豊臣秀吉)が応援に駆けつけ、長政軍を撃退したことが「信長公記」に記されている。
城跡の規模は県内でも有数のものであり、当城が「境目の城」として重要視されていたことがうかがえます。城跡の周囲は鎌刃の名前通り急斜面となり、南西尾根続きには7条の堀切を設けています。主郭は石垣によって構成されており、虎口は枡形となっています。北東尾根の削平地は群には石段を持つ、みごとな内枡形虎口が認められます。また西側尾根上の削平地群先端には近江では数少ない畝状竪堀群も認められます。こうした遺構は戦国時代末期の特徴をよく示しており、元亀年間の織田軍門下時代に築かれた遺構であろうと考えられます。
なお、城跡南東にある清竜の滝付近には水の手と伝えられる岩盤をくり抜いて造られた石樋も現存しています。
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