所在地:長浜市加田町
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :館
遺 構 : −
城 域 : −
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詳細位置はコチラ 
なし
【訪 城】2001年3月
【撮 影】2001年3月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★☆☆ |
| 縄張り |
★☆☆ |
| 普請 |
★☆☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★☆☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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1980年頃までは加田の集落内に土塁なども残っていたそうであるが、現在では屋敷跡と伝える空地が何ヶ所かあるだけで、遺構らしきものは残っていない。
上記写真の場所は地元の人が「おこんどー」と読んでいる場所であるが、うこんどの(右近殿)が訛って「おこんどー」となったものであろう。
加田氏の初見は、「政所賦銘引付』の文明年間の記事で京極氏の被官加田九郎兵衛尉の名がみえる。その後の動向は不明であるが、『垣見文書』にみえる天文13年(1544)の加田口合戦は、京極高広が浅井氏側の加田氏の館を攻めたものと考えられてきている。
加田七殿とは一般に、加田孫左衛門・同九郎左衛門・同権左衛門・同甚兵衛・同右近右衛門・同新八・同重右衛門の七人とされている。地元では、彼らを「ななとのさん」と呼んでいる。また、『江州佐々木南北諸士帳』は、孫左衛門の代わりに孫八郎を入れて「右加田七家」と記している。
一方、天正10年(1582)成立の「加田・下坂井所々作職算用帳」(『改訂近江国坂田郡志』第七巻)には、加田の土豪として、加田伊賀・同まこ衛門・同藤兵衛・同修理進・同藤衛門・同せんすけの七人が登場するが、上記の七殿とはまつたく一致しない。これらの相違は、時代によるものか、あるいは誤伝が含まれているかは不明であるが、いずれにしても戦国期の加田に七人の土豪がいたことは間違いなかろう。
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