| 近江 地頭山城 |
| 【城郭の概要】 所在地:坂田郡米原町番場 別 名 : − 築 城 : − 初城主: − 区 分 :山城 遺 構 :曲輪跡,堀切 面 積 : − 戦い 天文22年(1553) ○六角義賢 VS ●浅井久政 |
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・交通:国道8号樋口信号入る ・駐車:なし ・撮影:2000年10月
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【現地の状況】 地頭山城への登り口は幾つかあるようだが、番場地区の日吉神社本堂裏手から登る。この道は山頂から延びる東尾根の急斜面を直登するように登るため、登山靴は必須、できればトレッキングポールを用意したい。 道筋には、関西電力が打ち込んだ頭の青いクイが一定間隔で山頂まで続いているのでよい目印になる。 約20分ほども登ると、10m×10m程度の曲輪跡が二つ、10m×15m程の曲輪跡が階段状に続く。 主曲輪部は東西40m、南北15〜20mほどの広さであるが、倒木で荒れている。周囲に土塁はないが、50〜70cmの高さに土盛りされた箇所が幾つかあり、櫓跡かとも考えられる。 主曲輪の西端には高圧線鉄塔が建てられ、ここを起点に北へ尾根が続く。この尾根にも約30m×10m程度の曲輪跡が認められる。この曲輪跡の手前(南側)と北側に堀切が施されていて、この比較的なだらかな尾根の防御を意識しているのが感じられる。
【城郭の歴史,その他情報】 天文22年(1553)地頭山合戦で敗れた浅井氏は六角氏に和議を乞い、それ以後、六角氏に対して服属的な立場をとることとなり、浅井久政の嫡男猿夜叉(後の長政)に六角義賢の"賢"をとって賢政と名乗らせられ、六角氏の家臣平井加賀守定武の娘登代を妻に迎えさせられることになる。 標高249mの地頭山山頂からは、東に中山道、北は天の川を隔てて箕浦街道を望む要衝の地、「鎌刃表の城」とも云い、後には堀氏が居城とする。 |
