布施山城

【城郭の概要】

所在地:八日市市布施町
別 名 : −
築 城 : −
初城主:布施氏
区 分 :山城 
遺 構 :土塁,井戸
面 積 : −

戦 い :
永禄9年(1566)
  
六角義賢
     VS
   △
布施淡路守


.
   
布施城曲輪


・交通:国道421号線
     布施地区布施神社信号を西入る
・駐車:
観知溜館駐車場に約30台
・撮影:2001年2月
遺構の保存状態 ★★
遺構確認し易さ ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★

★の数の多い方が良い(または、激しい)
現地の状況
 布施山城へは布施地区にある通称「溜池」横の観知溜館(みちるかん)駐車場に車を置き、川沿いの道を200mほど西へ歩くと、小さな橋を渡った所に道はないが、比較的雑木が開けた一画がある。
 ここから登るのが距離的にも近い上、雑木も少なく登りやすいようである。
 この地点から更に数百m川に沿って西に明瞭な山道があるが、結局は同じ谷筋を辿ることになる。
 いずれの道からも約30分ほどで尾根に出る。尾根道は東西に走っているが、布施山(玉尾山または願成寺山)山頂へは東の道をとる。西に続く道はどこか続いているのか不明。
 山頂には狭い面積を目一杯利用して、周囲に土塁を巡らせた方形と云うよりは円形に近い形の主曲輪(約南北30m×東西30m)があり、南東隅には井戸(溜め井)と思われる5m×4mほどの窪地が認められる。
周囲の土塁は高いところで1mあまり、ただ、土塁の幅が相当厚く、当時はかなりの高さがあったのではないかと推定される。
 主曲輪の北には幅5mほどの袖曲輪を介して20m×20mの方形曲輪を配している。
こちらの曲輪にも周囲に土塁を巡らせている。高さは50〜60cm程度でしかないが、主曲輪同様に土塁底の幅は相当広い。


【城郭の歴史】
 
布施氏は佐々木六角氏の家臣で、永禄6年(1563)の観音寺騒動後の戦い(布施山の戦い)では浅井氏に通じ布施淡路守が籠城した。
この戦いの後は、浅井,六角両氏の蒲生野合戦へと続いていく。
 布施淡路守の子藤九郎は上大森に住み、織田信長に仕えたが、同族布施三河守は永禄11年(1568)信長の近江侵攻の時に、この城に籠もり戦うが敗れて廃城となる。

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