所在地:東浅井郡湖北町伊部
別 名 : −
築 城 :浅井福寿庵惟安か、朝倉氏か
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :土塁,空堀,竪堀
城 域 : −
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国道365号線(北国街道)湖北町伊部
詳細位置はコチラ 
清水神社前に5〜6台
【訪 城】2000年10月
【撮 影】2000年10月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★★☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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福寿丸は大嶽城から西に派生する尾根上に築城されており、元亀3年(1572)織田信長の小谷城攻めに際し、越前から来援した朝倉氏によって大嶽城,月所丸、および山崎丸と共に築かれたものとされている。
名前の由来は浅井氏の一族・浅井福寿庵惟安が居城としていたことから付けられているようだ。
清水神社の鳥居前に車を置いて、アスファルトの道を5分も登ると水道タンクに出る。ここからは山道に入り、山崎丸を経て20〜25分で福寿丸に出る。山道横に石碑が建てられているので判りやすい。
福寿丸は南北約50m,東西約30mほどの方形の曲輪で、周囲に土塁を巡らし西側に2カ所の枡形虎口を設けている。二つの枡形虎口のうち斜面下に位置する虎口は幅3m、深さ3〜4mほどの空堀によってより堅固な備えとしている。
周囲の土塁は曲輪内からは1〜2mほどの高さであるが、南側および西側の斜面からは6〜7mほどもあり、北国街道方面からの敵を意識しているのは明らかである。また、東側斜面(清水谷側)に一本の竪堀が掘られ、尾根道を通らずに斜面を迂回する敵を意識されている。なお、この竪堀は福寿丸周囲の土塁や空堀などの遺構に比べ古いように見受けられた。
山崎丸と福寿丸の城郭遺構のうち、土塁で形成された枡形虎口、および虎口に付随する空堀は浅井氏の小谷城や朝倉氏の一乗谷城では見ることのないものである。
これは山崎丸と福寿丸が元亀4年(1573)浅井氏が滅んだ後に改修された可能性が高い。
中井均氏(米原市教育委員会)は羽柴秀吉が柴田勝家との賤ヶ岳の戦いに備え、余呉と織田信孝の居城・岐阜城を最短距離で繋ぐ北国脇往還道(現国道365号線)を押さえるために、福寿丸,山崎丸を修築した可能性があるとしている。
■小谷城の隠れた遺構
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