所在地:東近江市青山町
別 名 : −
築 城 : −
初城主:青山左近右衛門実貞か?
区 分 :平城
遺 構 :土塁,空堀,枡形虎口,障子堀
城 域 : −
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国道307号線、妹の信号を東入る県道217号線を青山へ
詳細位置はコチラ 
空地を利用
【訪 城】2001年5月,2002年4月
【撮 影】2001年5月,2002年4月
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| 評価項目 |
見所評価 |
| 選地 |
★★☆ |
| 縄張り |
★★☆ |
| 普請 |
★★☆ |
| 体力消耗度 |
★☆☆ |
| お勧め度 |
★★☆ |
★が多い方がお勧め (三段階評価)
体力消耗度
★:山道はほとんどなし
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り
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青山城は鯰江城,井元城と同様に愛知川右岸の台地上に築かれた城郭で、日吉神社,善勝寺の裏手(宮林公園横)の杉林の中に状態良く遺構が残されている。
城域は南北30m,東西40mの方形であり、崖状に落ち込む南側には空堀と見まがうばかりの虎口を配している。雑木が多く構造を確認できなかったが、文献によると枡形を採用しているとのことである。
周囲を取り巻く土塁は分厚く、頂部でさえ4〜6mほどもある。特に虎口両脇の土塁は幅が広く、櫓台があったのではないかと推定される。
急斜面の南側を除き、東〜北〜西側には上部幅7〜8mの空堀を巡らしている。城域はさほど広くなく、周囲を土塁と空堀で固めただけの構造であるが、小粒ながらもスケールは蒲生郡一帯の中世城郭でも屈指である。
また、今回は雑木のために枡形虎口の確認できなかったが、この辺りの城郭で枡形虎口を見ることは希で注目される。
近くには鯰江城があり、この鯰江城を天正元年(1573)に織田方の柴田勝家が攻めた際に、近くに付城を築いたとされているが、この青山城の構造を見ていると、まさにここがその付城ではなかったかと考えられるが・・・・・。
【2002.1.4追記】
虎口部を確認するために訪城する。河岸段丘の下から幅5〜6mの道が虎口部で2度の折れを入れて城内中央に続いている。近江ではこうした2度の折れを入れた虎口は珍しく、戦国末期に造られたものと推定される。
前回来たときは北側の堀に掛かっている土橋と思っていたものが、実は畝堀であることを発見する。幅約3mの堀に5m,6m,7mの間隔で1m幅の桟を入れた障子堀である。堀幅や深さは北条氏のものとは比較にならないが、明らかに畝堀である。
「愛智郡志」によると、小倉一族青山氏の居城とされ、青山左近右衛門実貞、同左近允勝重は佐々木氏の近習であったとされている。
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