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信長の馬つなぎ松
 元亀元年(1570)越前の朝倉攻めを敢行した織田信長は、4月25日敦賀の手筒山城を落とし、翌26日には金ケ崎城、,疋田城をも落とし、まさに木ノ芽峠を越えて越前に攻め入らんとした時、近江江北・小谷城を本城とする娘婿の浅井長政の離反にあい、若狭から朽木街道を経て京に逃げ戻る。この時信長に従う者は僅か10名ほどだったと云われている。

 信長は浅井討伐の準備をするため、美濃・岐阜城へ帰国するルートとして選んだのが、千種越え(現在の永源寺町甲津畑から杉峠を越えて、三重県菰野町にでるルート)であったが、その時に信長が甲津畑で馬を繋いだと云われる松が甲津畑の速水氏宅にある。

馬つなぎ松
信長が馬を繋いだと云われる松


千種街道
 信長が越えた千種越えのルートを、滋賀県東近江市甲津畑町 から杉峠まで辿って感じたことは、杉峠近くでは道幅も狭い上、斜度もきつくなり、当時信長も馬を降りて徒歩で越えたことだろうということです。

千種街道
千種街道、この辺りは馬でも登れるが・・・・・



 杉峠には、名前の由来を示すかのように杉の木が何本かあります。千種街道は、ここから御在所岳の北側を迂回して、国見峠を越えて湯の山温泉に至りますが、約5時間ほどの距離で、信長も結構苦労したのではないかと思われます。(^^) その後、信長は美濃と近江を何度も行き来しますが、中山道を利用し、この千種街道を通ることはありませんでした。
千種街道の杉峠
千種街道、杉峠

【所在地】滋賀県東近江市甲津畑
詳細位置はコチラ  この位置はあまり正確ではありません。(^^;

【訪問日】2001年6月

【現地を訪れて】
 甲津畑には、杉谷善住坊が鉄砲で狙撃した際に、信長が隠れたという「信長の隠れ岩」というのがあるようです。残念ながらこの時は、その隠れ岩がどこにあるのか分かりませんでした。
 なお、この千種街道は山ビルがうじゃうじゃいます。(^^) 従って歩かれる場合は、それなりの格好をするか、11月から4月の間が良いと思います。

【2007年5月追記】
 甲津畑城を訪れ、信長の隠れ岩の情報をゲットしました。千種越えの途中にイヌシデの巨木があります。この巨木から少し進んだところから川に下ったところのようです。


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