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玄蕃尾城
越前と近江の国境に柴田勝家が築城し、本陣を構えた |
長浜城
柴田勝家の養子・勝豊が守備するも、緒戦にて落城 |
行市山砦
柴田軍の佐久間盛政が布陣 |
別所山砦
柴田軍の前田利家が布陣 |
林谷山砦
柴田軍の不破勝光,毛受勝助・家照兄弟,徳山五兵衛秀現等が布陣 |
中之谷山砦
柴田軍の原彦次郎長頼が布陣 |
東野山砦
賤ヶ岳の合戦時に秀吉軍の勇将、当時・佐和山城主であった堀秀政が築城,布陣 |
賤ヶ岳砦
秀吉軍の桑山重晴,羽田正親,浅野与兵衛らが布陣、賤ヶ岳の戦いで一番の激戦地となる |
田上山砦
秀吉軍の羽柴秀長が秀吉の本陣を守る形で布陣 |
天神山砦
秀吉軍の山路正国,木下一元等が布陣 |
堂木山砦
秀吉軍の木村隼人が布陣 |
大岩山砦
秀吉軍の中川清秀が布陣 |
岩崎山砦
秀吉軍の高山右近が布陣 |
小谷城・山崎丸
大嶽城西尾根にあって、賤ヶ岳の戦いに備えて秀吉が改修したのではないかとされている |
小谷城・福寿丸
大嶽城西尾根にあって、賤ヶ岳の戦いに備えて秀吉が改修したのではないかとされている |
「街道を駆け抜けた戦国武将たち、賤ヶ岳の合戦」の講演要旨
講師:中井均氏(米原町教育委員会)
2001年3月4日 滋賀県立長浜文化芸術会館 |
レポート 賤ヶ岳の軍道(玄蕃尾城〜行市山砦)を歩く
レポート 再び、玄蕃尾〜行市山の軍道を歩く
賤ヶ岳の戦いにおいて玄蕃尾城に構える柴田勝家、行市山砦の佐久間盛政を中心とした柴田軍は
山中に軍道を造って物資の輸送、軍事行動の迅速化を図ったとされています。
この軍道を友人と歩いたときのレポートです。 |