今年度発掘の目的
昨年度の大手口西側の発掘調査によって、天正期の安土城南面の石垣とその東側に石組みの側溝が発見されたことから、貞享4年(1687)近江国蒲生郡安土古城図に「沼」と記載されている大手口南側に遺構が広がっている可能性が高くなった。
今年度は安土城南面の石垣の南側にどの程度の遺構が残されているのか確認すること。および南面石垣の北側(上部)平坦部の遺構残存状態の確認。
・大手口西側
百々橋〜大手口にわたって安土山南麓に13本のトレンチをいれて調査が行われた。
トレンチ1
天正期の石垣が崩れ、ぐり石(裏込石)が露出している上に江戸期に石積み(裏込石は無し)がされていた。なお、石積みされた上部は耕作されており、遺構は発見されなかった。(耕作された土の中から江戸後期の遺物が発見されたことから江戸期の石垣と判断された)
トレンチ4,7
大手口から続いている側溝の横に石を敷いた道らしきものが発見された。昭和50年に水道工事に伴い、削られているので現状からは"道"だとは断定しがたい。
トレンチ9
大手口と百々橋口のほぼ中央部に、階段が発見された。この階段は、大手口西側の物見台から続いている2段の曲輪(?)の上下を繋ぐ通路のようである。また、更に西側(百々橋口)にも続いているが、更に発掘してみないとどのようになっているかは分からない。
・大手口東側
昨年発掘された大手口西側の虎口(ふたつ)に続き、東側でも粘土でたたいた虎口が発見された。この東側部分は昭和5年にも発掘されているが、その当時はトレンチを入れただけであったため見つからなかった。
この虎口は枡形としては変形しており、果たして枡形虎口と言えるかどうか。
この虎口から約1m登って幅5.5m、奥行き5mの石で作られた階段が発見された。階段の途中には踊り場があり、礎石も確認されていることから門があったことは間違いない。
今回、大手口東側から虎口が発掘されたことにより、安土城大手には、大手門,大手口西側,大手口東側と三つの門があったことが分かった。こうした三門形式は平安京の宮城門(朱雀門)を模したもので、目的によって使い分けられていたと考えられる。
出陣など晴の日、あるいは天皇を迎えるために使う門,天皇に付き添う公家、あるいは馬廻り衆などが使う門,それと通常に使われる門であったということも考えられる。
まとめ
貞享4年(1687)近江国蒲生郡安土古城図にに記されている城域南端の石垣から南側は沼地だと考えられてきたが、昨年度の発掘で排水溝が確認されたこと、および今年度の発掘調査で貞享の古絵図にあるような沼地でなかったことが裏付けられた。
また、平成13年度に大手門西側に虎口が発見されて、東側にも虎口があるのではないかと考えて調査を進めてきた結果、虎口が発掘された。
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文責:箕浦 2002.11.7 |
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