開催日:2054年9月10日(土)
主催者:滋賀県文化財保護協会
【現地説明会に至るまでの経過】
第二名神高速道路の工事に伴い高野城の背後の山を調査した所、城郭遺構を発見し、昨年から発掘調査を実施してきた。発掘調査の結果、5つの平坦地と窪地、および竪堀状の遺構を検出した。
これらの城郭遺構は高野城に隣接していることから、高野城に関連して構築されたものであると考えられる。高野城は甲賀の高野地区を所領としてきた土豪である高野氏の城と考えられているが、高野城が改修・拡張された背景には、永禄11年(1568)に織田信長が近江に侵攻してきて以来、元亀争乱まで続く軍事的緊張の中で高野城が改修・拡張されたものであると考えられる。なお、全体的に城郭としての形をなしておらず、急造されたためであると考えられる。

西側斜面下からの全体地形、手前の人工的な箇所は溜池施設
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今回新たに発見された高野城の遺構は第二名神高速道路の延長線上にあり、おおよそ半分ぐらいは消失するようです。
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現地に向かって出発
50名ほど参加者は、いよいよ現地に。
登り詰めたところが、第2平坦地と第3平坦地の間になる。 |
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第1平坦地
今回発見された遺構には、独立した5つの平坦地があり、これが曲輪として考えられている。
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尾根上の堀状地形と第1,第2平坦部
この窪地(堀状地形)は、攻め手から身を隠すために掘られたのであろうか。 |
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尾根上の堀状地形と第1,第2平坦部
第3平坦地から見た、第1平坦地と第2平坦地 |
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第2平坦地方向から見た窪地(堀状地形)
第二平坦部と第三平坦部の間の尾根上にある窪地(堀状地形)。堀の延長線上に第三平坦部がある。 |
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堀状地形
正面に旗の立っているところが第3平坦部、右手の小高いところが第4平坦部 |
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第4平坦部と第5平坦部 |
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第3平坦部から見た第4,第5平坦部
この辺りまで来ると、「ホンマに城郭遺構かいな」という印象を受けた。(^^)
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第5平坦部から見た第4平坦部
この第4平坦部が5つの平坦部の中で、最も曲輪らしい地形をしている。 |
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第4平坦部から見た第5平坦部
各平坦地との間に堀切が欲しい場所である。第5平坦地下の道は後年付けられたもの。 |
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第5平坦部の切岸
平坦部の切岸だけは他の斜面と勾配が違うところは手が入っていることを窺わせる。 |
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第5平坦部の切岸
手前の段差になっている部分を、係の人は「犬走り」と称されていました。
そういわれてみれば、見えなくもない。(^^)
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【所感】
現地で係員の人に、「城郭遺構であると決め手になったのは、何ですか」と尋ねると、竪堀状遺構は幾つかあるが、自然地形の可能性もあり、決め手になってのは平坦地の切岸とのこと。確かに、人工的な形状をしていましたが、城郭遺構と断定するのはどうかと思いました。
我々が城郭遺構を見る時は、一帯に雑木が茂っている所で見るため、こうして総ての雑木を伐採してしまうと、見る印象ががらりと変わってしまうことは、以前訪城した埼玉県の杉山城で経験しました。従って、一概には新しく発見された遺構が、城郭遺構でないとは否定出来ませんが、かといって城郭遺構とも判断出来ないというのが現地説明会に参加した印象でした。
滋賀県文化財保護課でも、いろいろと検討された末に出された結論だと思います。そうした経過を推測出来るのが、城郭遺構で一般的に使われる「曲輪」を使わず、「平坦地」とい言葉を使われている所にも出ているのではないかと感じました。
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